
【完全保存版】9000回転の絶叫。S2000、RX-8、FD2シビックが奏でた「内燃機関のラストダンス」
ターボ化やハイブリッド化が進む2000年代後半、S2000(AP2)、RX-8、FD2シビックは「NA」にこだわり続けた。9000回転の絶叫、ロータリーの純度、セダンの皮を被ったレーシングカー。内燃機関の最後の輝きを、熱く語り尽くす。
エコカー全盛の時代に、彼らはあえて時代に逆らった。レッドゾーンの奥にある快感を追い求めた、誇り高き反逆者たち。
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CHAPTER 01
序章:エコカーブームの裏側で
プリウスが街を埋め尽くす中、時代に逆行するように現れた高回転NAスポーツたち。S2000、RX-8、FD2。それはハイブリッド時代の到来を前に、エンジニアたちが放った内燃機関の「ラストダンス」だった。
2000年代半ば、日本の自動車産業は大きく舵を切っていた。 燃費、排出ガス、そして「環境」という言葉が、商品価値の中心へ入り込む。 “速い=偉い”という単純な時代が終わり、優等生のような車が増えていく。 街にはハイブリッドが浸透し、メーカーの技術発表も「効率」が主語になった。
それでも、ある種のエンジニアたちは逆をやった。 過給で誤魔化さない。 電気で包まない。 吸って、燃やして、回して、音と振動で語る。 自然吸気(NA)で高回転を追いかけた最後の濃い時代が、ここにある。
Honda S2000、Mazda RX-8、Civic Type R(FD 2)。 3台は別々の答えを出しながら、同じ質問に向き合っていた。 「内燃機関の官能は、どこまで磨けるのか」。 そしてもう一つ。 「性能が過剰になりすぎる前に、運転を主役にできるのか」。
年表(ざっくり)
- 1990年代後半:高回転NAが“技術の誇示”として成立する土壌が残っていた
- 2000年前後:規制強化と安全装備の増加で「軽さ」の難易度が上がる
- 2000年代半ば:環境が主語になり、回転の贅沢は説明が必要になる
- この頃:S2000 / RX-8 / FD2のような「回して成立する名車」が揃った
- その後:過給+制御+電動化が合理になり、NAの純度は希少になる
この特集の入口(検索されやすい言葉)
- 高回転NA / スロットルレスポンス / 9000回転
- VTEC / K20A / F20C / ロータリー(RE)/ Renesis
- 2000年代スポーツカー / 最後の“回す時代”
CHAPTER 02
Honda S2000 (AP2):9000回転を捨てた「大人」の決断
9,000回転から8,000回転へ。排気量アップによるトルクの増強と、ジオメトリ変更による挙動の安定化。AP2は「牙が抜けた」のではない。ピーキーな実験機から、誰もが踏める本物のスポーツカーへと成熟した完成形である。
S2000が伝説になる理由は、9000回転という数字だけではない。 あれは「回すこと」を目的にした機械を、量産で成立させた点にある。 高回転はロマンだが、量産車ではすぐに現実にぶつかる。 振動、摩耗、熱、そして扱いにくさ。 それでもS2000は、精密さで押し切った。
S2000の核心は、エンジンの“密度”だ。 回転が上がるほど荒れるのではなく、逆に滑らかに澄んでいく。 吸気音と排気音が混ざり、メカの摩擦が音楽に変わる。 回転計の針を追う行為そのものが、スポーツになる。 この「回すという儀式」を、日常で成立させたことが偉い。
加えてS2000は、回転の快感を“操作”へ戻している。 シフトチェンジが気持ちいい車は多い。 だがS2000は、変速という行為が回転のドラマをつなぐ演出になっている。 回して、繋いで、また回す。 この循環が、スポーツカーの古典的な喜びを現代へ持ち込んだ。
FRで、オープンで、しかもショートホイールベース寄りのパッケージ。 この条件は、正直に言えば“難しい車”になりやすい。 だからこそS2000は、シャシーと足の作り方が重要だった。 直進の安定、ブレーキングの姿勢、コーナーの入り口での荷重移動。 高回転の快感を、怖さにしないための土台が、細部に仕込まれている。
ただし、伝説はいつも誤解を連れてくる。 初期のS2000は尖っている。 低回転は薄く、濡れた路面では挙動が過敏になりやすい。 この“尖り”は欠点ではなく、狙いの結果だ。 回すために作れば、回す以外が痩せる。 S2000は、その潔さで美しい。
AP2という「現実との折り合い」
後期に向けて、S2000は少し大人になる。 回転数だけを神にせず、トルクや扱いやすさへ寄せる。 これは“降参”ではない。 公道で使うことを、より強く肯定した決断だ。 高回転の官能を守りながら、日常の速度域での厚みを増やす。 そのバランスが、S2000という物語を長くした。
S2000の価値は、現代のスポーツカーに慣れた人ほど分かりやすい。 今の速さは、制御とタイヤで成立する。 だから運転は簡単になる。 一方S2000は、運転が少し忙しい。 忙しいから、達成感が残る。 ドライバーが正しい操作をした分だけ、機械が美しく返す。 この“正しさの報酬”が、S2000の官能だ。
S2000を読むための視点
- 高回転は「数字」より「回す行為のドラマ」を生む
- 尖りは欠点ではなく、狙いの純度の高さ
- 後期の変化は、官能を守るための現実解
CHAPTER 03
Mazda RX-8:ターボを捨てたロータリーの「純度」
FD3Sのターボパワーを捨て、NAロータリー「RENESIS」を選んだRX-8。その狙いは、モーターのような回転フィールと、リニアなレスポンスの追求だった。観音開きの4シーターでありながら、ハンドリングはピュアスポーツを凌駕する。
RX-8は、ロータリーエンジン(RE)という異物を、21世紀へ持ち込んだ最後の大仕事だ。 前のRX-7がターボで武装していたのに対し、RX-8はあえて自然吸気へ振り切る。 ここに思想の違いがある。 速さで殴るのではなく、回転とバランスで酔わせる。 RX-8は「ロータリーは官能である」と言い切った。
ロータリーの美点は、回転の滑らかさと、軽さと、パッケージングにある。 ピストンの往復運動がないぶん、エンジンが“回ること”に素直だ。 そしてコンパクトだから、前後バランスを作りやすい。 RX-8は、その利点を「4人が乗れるスポーツ」という現実の形に落とし込んだ。 スポーツカーにしては日常が広い。 それでも運転の芯は細い。 この二面性が、RX-8らしさだ。
そしてRX-8のパッケージは、ロータリーの短さを正直に使っている。 前後の重量配分を整え、ホイールベースの中にエンジンを収め、4人分の空間を確保する。 ドアの仕掛けも、ただのギミックではない。 乗降性と剛性を両立するための工夫として、あの形が選ばれている。
見た目よりも「思想」が新しい
RX-8の革新は、ドアやデザインの話だけではない。 ロータリーは、常に“熱と排出ガス”という宿題を抱えていた。 そこで登場したRenesis(レネシス)は、ロータリーが生き残るための再構成でもあった。 構造の工夫で、官能を守りながら現代の条件へ寄せる。 RX-8は、純度だけでなく“生存戦略”も背負っていた。
そしてRX-8の運転は、速さよりも「軽さ」に支配される。 ステアリングの入りが軽く、ノーズが自然に回り込み、後ろが素直に追いかけてくる。 ターボの蹴りより、回転の上昇で速度が伸びる。 この“透明な加速”は、ロータリーの語彙だ。 人によっては遅く感じる。 だが好きな人には、これが速さに見える。
“純度”の代償
ロータリーは、ロマンだけでは走らない。 熱、燃料、排出ガス。 現代の規制は、ロータリーに不利な条件が多い。 RX-8は、その不利を抱えたまま“美しさ”を優先した。 だからこそ、体験が濃い。 回転が上がるほど軽くなり、音が細くなり、車体の動きが澄んでいく。 ターボの暴力ではなく、回転の透明さで速さを感じさせる。 これは、ロータリーの最後の正攻法だった。
RX-8を読むための視点
- ロータリーは「回転の透明さ」で官能を作る
- 4人乗りスポーツという現実に、設計思想を落とし込んだ
- 純度は、同時に維持の難しさも連れてくる
CHAPTER 04
Civic Type R (FD2):セダンであることを拒否した「確信犯」
家族を乗せることを放棄したガチガチの足回り。225馬力まで絞り出されたK20Aエンジン。FD2はセダンの皮を被ったレーシングカーだった。「FFはFRより遅い」という定説を、物理的な暴力でねじ伏せた最後の野生。
FD2のシビックType Rは、見た目が少し地味だ。 ハッチバックでもなく、ワイドボディのスーパーカーでもない。 しかし中身は、2000年代日本の“現役の戦闘機”に近い。 NAのK20Aを高回転まで回し、前輪で路面を噛み、ブレーキで速度を削り、旋回で姿勢を決める。 速さの作り方が、極めてストイックだ。
FFスポーツは誤解されやすい。 前輪駆動は曲がらない。 トルクステアが怖い。 そう言われがちだが、FD2の面白さは、まさにそこを“運転の技術”として残している点にある。 前を掴ませ、荷重を乗せ、切り増しで粘らせ、そして立ち上がりで整える。 操作が要求されるほど、ドライバーは参加している感覚を得る。 FD2は、参加型の速さだ。
K20Aという「手足の延長」
FD2のエンジンは、NAであることが武器になる。 踏んだ瞬間に返ってくる。 回した分だけ増える。 そして頭打ちが読みやすい。 これが、FFの姿勢作りと相性がいい。 ターボのように“予想より出る”瞬間が少ないから、車体の荷重変化を丁寧に繋げられる。 FD2は、エンジンがシャシーの一部として機能している。
さらにFD2は、ブレーキと剛性の扱いが上手い。 速度を削る時に姿勢が崩れない。 だから旋回の入り口で、ドライバーは余計な修正を減らせる。 この「減る」という感覚が、タイムに効く。 派手な馬力ではなく、条件の整理で速い。 2000年代のType Rは、そういう速さを作る。
セダンという皮を被った理由
セダンであることは、妥協ではない。 当時の条件の中で最も速く、最も分かりやすい答えを選ぶと、あの形になった。 派手な夢より、勝てる現実を優先する。 Type Rが時々見せる“確信犯”の顔が、FD2には濃い。 そしてこの合理は、時間が経つほど美しく見える。 速さが過剰になった今、あの“説明できる速さ”が希少だからだ。
FD2を読むための視点
- FFの速さは「姿勢の作り方」で決まる
- NAは荷重移動のリズムを乱しにくい
- 派手さより、勝つための合理が芯にある
CHAPTER 05
第4章:なぜ「NA」だったのか?
ターボの方が効率的だ。それでも彼らがNAにこだわったのは、ドライバーとの「通信速度」のためだ。右足の動きが瞬時に音と加速に変わる直結感。それは効率では測れない、スポーツカーの命そのものだった。
3台に共通するのは、NAであることが「宗教」ではなく「設計の道具」だった点だ。 過給は、速さを作るには強い。 だが同時に、レスポンスや音や熱の扱いに別の課題が増える。 2000年代の日本車は、その課題をまだ“電子制御で全部塗りつぶす”ほど成熟していなかった。 だからこそ、NAという選択が、官能の最短距離になった。
NAの強みは単純だ。 踏んだ瞬間に返ってくる。 回したぶんだけ変化する。 そして回転が、ドラマとして残る。 ターボの速さが「結果」なら、NAの速さは「過程」だ。 S2000の回転計、RX-8の滑らかさ、FD2の鋭さ。 それぞれが別の語彙で、同じ官能を語っている。
そして、これが“ラストダンス”に見える理由も同じだ。 規制が厳しくなり、燃費とCO2が主役になり、過給と電動化が合理になる。 官能を残す手段が、NAだけではなくなった。 だからこそ、NAに純化したスポーツカーは歴史の中で輝く。
回転数は「誇示」ではなく「翻訳」だった
高回転は、性能の誇示に見えやすい。 だが実際は、ドライバーの操作を“翻訳”する装置でもある。 回転が上がるほど、音が変わり、振動が変わり、車の表情が変わる。 つまり車が、運転に対して言葉を返してくる。 この会話が濃いほど、人は運転を覚える。 S2000もRX-8もFD2も、その会話を守るためにNAを選び、高回転を磨いた。
CHAPTER 06
結論:内燃機関の、美しい夕暮れ
2010年頃、彼らは次々と姿を消した。現代の車は速いが、あの「突き抜ける高音」はもうない。FD2やS2000が残したのは、ガソリンエンジンが到達した官能の極地であり、二度と戻らない時代の記憶である。
S2000、RX-8、FD2。 3台は「最後のNA」と言い切れるほど単純ではない。 その後にも魅力的な内燃機関は生まれている。 しかし、時代の空気として“回すこと”がここまで肯定された時期は、確かに短かった。
この3台が残したのは、速さの数字ではない。 ドライバーが介在する余白、回転がドラマになる時間、音と振動が意味を持つ速度域。 内燃機関の美しさは、性能より先に「伝わり方」に宿る。 そして、その伝わり方が最も純粋だった夕暮れが、2000年代半ばにあった。
いまのスポーツカーは速い。 だが速さの説明が、ソフトウェアの言葉に寄っていくほど、回転の詩は読みにくくなる。 だからこそ、この3台は残る。 高回転NAのラストダンスは、懐古ではなく“基準”として読み返す価値がある。
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